INDIGO BLUE

船に乗って、海を渡る

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19 March 2011
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09 March 2011 | Punta de Mita Mexico
04 March 2011 | LaCruz Mexico
08 February 2011 | La Cruz Mexico
04 February 2011 | PV Mexico

おびえる毎日の暮らし

23 September 2013
息子が生まれて四ヶ月が経った。
四ヶ月というと、SIDSが発祥しやすい時期。
文字にするのもおそろしいくらい。
うつ伏せにしたまま、とか、寝ていたのに突然、とか。
考えないようにしようと思えば思うほど考えてしまう。

運転免許の試験で、高速道路を運転する、というのがあった。
教官と他の生徒たちをのせて車道に出て、田舎の高速道路にのって100キロ近くとばすように言われる。
調子は良かった。途中、トンネルの手前で教官が「ここで路肩にあたったら、全員死ぬかもしれへんしなー」といった。
ハンドルが汗で濡れる。
トンネル内にはオレンジ色の光が続き、緩いカーブが続く。
出口が見えない。
それでも前だけを見て、絶対にぶつけんとこって強く思うんやけど、それと同時に、もしもここで手を滑らせたらっていう可能性も頭に浮かぶ。それは、そうなったらどうしようというんじゃなくて、その気になればわざとぶつけることも私にはできるっていう可能性。
こわい。
包丁を持った時も、こんな鋭い刃がもし他人にあたったらという懸念よりも、「私はこれをあいつにむけることもできる」という選択肢が頭にうかぶのがこわい。それを、もう一つのあたまでおさえている。

息子の場合は、こんなにも愛しているのに、もしかしたら起こりうるかもしれない不幸ばかりが頭の中をうめつくして止まない。なんでや。
こわい。おそろしい。
考えたくもないのに、次々と一方的な恐怖がおそってくる。
もう一つのあたまでおさえられへん。
なんで。こわいこわいこわい。
大事すぎるのに、嫌なことおそろしいことばっかりが思い浮かんで、
寝ている息子の息を確かめる度に心臓がとまりそうになる。
そして胸をなでおろしては、またこわい思いをする。
なんでや。
どうやってとめるんや。

知らない人の背中

10 September 2013
長い夏休みが終わろうとしている。
旦那と一緒に子育てするの、たのしかった。
毎日すきな時に起きて、昼寝してごはん食べて、赤ちゃんとあそんで。
ずっと三人。

旦那が、いつものだらしない部屋着をきて、革靴を磨きはじめた。
なんか急にさみしくなった。
働き口が見つかったのはいいけど、もうこんなヒッピー暮らしができなくなるのかと思うと、ものすごくさみしい。

そのせいか、見ず知らずの女性がどうしているか、インターネットで覗き見たりするようになった。
あの人、まだ悩んでる。こんなに痩せて。
同情したり懸念したりする気は一切ない。
不幸を売りにしてその状況を知らせてくれればいい。
彼女が不幸だと、私は安心する。


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義理の母親

17 August 2013 | Kyoto
土曜日の朝。
旦那が、自分の母親に旅の報告をするため、わざわざ外へ電話をしに行った。
1時間ほどして帰ってきた彼の顔を見て、行くのをやめたんだな、とさとった。
こっぴどく叱れたみたい。
私はお義母さんから嫌われていると思っていたから、ちょっとだけ嬉しかった。けどその反面、本当にやめるの?という気がしないでもなかった。
その話題に触れないでいると、夜更けに旦那が、
「旅行、キャンセルしてもいい?」ときいた。
やっぱりか。
こういう時、「いいよ」とだけ言えたらどれだけ格好よかっただろう。
思わず、「うそやん。ほんまに?いや、あかんやろ」と言ってしまった。
暗い夜が続く。

朝になって、相談にのってもらっていた友達や自分の親に報告する。
旦那、行くのやめてんて。
みんな口を揃えて「良かったやん」といってくれた。
そうなのか?
今しかないこの時間に、行ってみないでいいんですか?
いいんです。
今しか行けなくても、行かなくたっていいんです。
口数の少ない旦那は、「今はやめとく」としか言ってくれなかったけれど、こういう葛藤の末、私たちを選んでくれたと思いたい。
 


トルコとイランへ

14 August 2013
盆に息子と実家に帰る。
薬漬けだった私にこんなことができるなんていまだに信じがたい。
けれど、気分は晴れないまま。
玄関に入ったとたん母が、
「あんた一人か。ちょうどよかった、聞きたいことあってん」。
あーあ、くると思った。
「旦那さん、これからどうしはるんや。働く気あるんか?」
知らんわ。
問い詰められて、旦那が一人旅に出ることを話した。
仕事から帰ってきた父も、「一体何を考えてるんや」とあきれ返った。
私は、旦那が、急に子供ができて、やりたかったことができなくなって悔しい思いをしていると説明した。
「仕事も、やめてから何もしたいことが思いつかへんらしい。いろいろな職種をすすめてみたけど、どれもぱっとしいひんねんて」
父は、「まあ、帰ってきて、父親の自覚ができるんやったらええんちゃうか」といった。
母は、「あんたが、行ってきたらって言うたんやろ」といった。
あたまに血がのぼる。
でも、何も言い返すことができなかった。
旦那に、息子のことを残念に思ってほしくない。
突然できた子供を認めてもらったかわりに、できるだけ自由にしてあげたいだけ。
ただそれだけ。

父ちゃんの夢

10 August 2013 | Kyoto
我慢しとる。わしは我慢しとる。
と思ってたけど、そんなことないんか?独りよがりの思い込みか?
5つ年下の旦那は、マイペースすぎてあわへん。
昼に起きて、飯食って寝て、ぼーっとして寝てる。
あかんやろ。そら怒られるやろ。
でも、私は大人やし、むしろこんなおばはんが嫁で申し訳ないと思うから、何も言わずに、隣で静かに家事をこなしてきたんや。ちょっとだけ。
それに、育休中でありながら、副業もしとる。
そんな時、ぼそっと「いつか香港に一週間だけでいいから行ってみたい」と。
なんですって?
「一週間だけ一人で旅したい」
ふうん。
いやもう、そんなら行ってきて。気が済むまで。できるだけ長く、自分が最も行きたかったところに。
というわけで、旦那がトルコ、イランに一ヶ月行くことになった。息子と私をおいての、一人旅。
私?
さみしいよ。息子に何かあったら、旦那に何かあったら、と思うと不安で仕方ないけれど、これ以上うなだれた旦那をみたくない。

二人で話すときいつも、旦那は自分のやってみたいことをあれこれと語る。けれどその内のたいがいのことを、私は経験してしまっている。
海外での暮らし、一人旅、旅人との出会い。私が話すと彼は興味深そうに頷いてみせる。そしてその度に、自分も、という夢を膨らませる。しかし、それもつかの間、すぐに赤ん坊が泣き声をあげて、現実に引き戻される。
下唇を噛みながら、オムツを変える彼。そんな姿はもうみたくなかった。
行ってきたら、と言うと、彼はにやりと笑った。
ああ、それがしたかったのか。
旅の準備となると、朝も積極的に目覚める。
地図やガイドブックをひろげて熱心に計画をたてる。
一方で私には、旦那が家をあけるさみしさだけじゃなくて、自分が欠けてしまうような空虚感がまとまわりつく。
息子は父ちゃん似の天パやねんから絶対帰ってきてや。

末永く

08 August 2013
昔とはうってかわって、長生きがしたいと思うようになった。
それも、とことんまで長く。

赤ちゃんは、最近よく笑う。
生まれてから二ヶ月半が経ったわけやけど、もうずいぶんと大きくなった。
来月にはもっと大きくなって、来年には歩くようになってって想像していくと、そのずっと先に、自分は彼のそばにいないということを、気付かされる。

頼まれてもいないのに、息子をぎゅっと抱きしめる。
彼は暑苦しそうに、顔をしかめる。
理由はないんやけれど、時々こうやって涙がでる。



自分の過去

29 July 2013 | Kyoto
久しぶりに、いちからブログを読み直した。
懐かしかった。
大半が「この人病んでるな」と思わせるような内容やったけど、生命力の強さを感じた。

帰国してから、当時の暮らしに戻りたくなったことは一度もない。
ただ、あのまま船旅を続けていれば、有名になって本くらい出して、お金持ちになれたかもしれないのに、というやましい気持ちになったことは何度かある。
今がものすごく貧乏なだけに。
けれど、息子の寝顔を見た時に、続けていればこの子と出会えなかったのだと思うと、今のわたしに心から満足する。

赤ん坊におっぱいをあげながら、窓の外を眺める。
向かいの棟の洗濯物は、今日も山ほど干されている。
私には、旦那と子供の健康以外にほしいものは何ひとつない。
けれど二人はどうだろうか。
私には、一生かけても、海の真ん中から眺める夕陽というものを、彼らに見せてあげることが、おそらくできない。
船なんて買えへんし。
それでも、こんな母ちゃんでも、一緒にいてもらえますか。



団地ってこんなとこ

28 July 2013
めちゃくちゃしょーむないのはわかってる。
けど、家の前の廊下を歩いてたら、ピンポンダッシュされまくったらしきお宅が張り紙を出していた。
「誰じゃーボケー」
おもろ。


このままではまずい

27 July 2013 | Kyoto
食べものの写真を載せることができるくらい、私は健康になった。
しかも、この、いかにも食べてますってかんじのやつを。
なんてことを気にしている間はまだあかんわ。
えーあかんのー。

最近は、親との距離の取り方がわからないでいる。
初孫が生まれてから、何かにつけてしゃしゃり出てくる初老のふたり。

かつての私は、ほとんどにおいて否定する親に、特に母の存在に耐えきれずに、家を出た。
それも、極限まで待って、ほんとうにどうにもならなくなるまで我慢した。
だから、家を出て北米に行ったとき、私の右手はボロボロやった。
けれどもそれから6年という時間をかけて、親の存在がうつくしいものに変わり、自分の意見も主張できるようになった。

それが、また身近に暮らすようになって、じわじわと汚染されつつある。
子供を育てるにはあーしろこーしろ。旦那とはこーしろ。むこうの両親とはあーしろ。
それを、私はだまって「わかった」ときいている。前の自分と同じ。いや、むしろひどくなってる。
それには理由がある。それは兄。
あんな、ただのおっさんでしかないような男が、定年を過ぎた母親にあんなえらそうな口をきいているなんて知ったら、せめて私だけは良い娘でいようと思ってしまう。

おなかを痛めて生んだ子が、十二分に成長したにも関わらず、いつまでも家に寄生し続けている。母親は、きっとこの子はこのまま死んでいくのだろうと知りながら、年老いていく。
末恐ろしいわ。
だから、私だけは母の心の拠り所でありたいと思うと、なんでも「わかった」としか言えない。
汚染されているとわかりながら。

兄と赤ちゃん

27 June 2013 | Kyoto
先日、子供を連れて実家に帰った。
ほんとうは、前日から体調を崩していたから別の日にしたかったのだけれど、母が「家も用意してるんだから。お兄ちゃんにも言ってあるし今日にしてよ」と言うので、旦那と子供と三人で出かけた。

実家に帰ると、兄が珍しく部屋から出てきて旦那にもちゃんと挨拶をして、赤ん坊をだっこした。
母が兄を褒める。
もう34のおっさんやで。挨拶くらいするやろ。でも、そういうことを、家族は誰一人として口にださない。
引きこもりになると、何か行動しただけで評価される。
今日は外に出たの、えらいねって。

兄を嫌悪しながらも、彼に赤ん坊を抱くという経験をさせてあげられる人間は私しかいないと思うと、今日のような機会を逃すべくはないと思ってしまう。
兄が赤ちゃんを抱き微笑む姿を見て、胸をなでおろす。
母もきっと、これがみたくて私たちをよんだのだろう。

自宅に帰ると、兄とやっと初対面を果たした旦那が「お兄さん、優しそうな人でよかった」とぼそりと言った。
私は「うん」とだけ返事をして、実は兄が、母にだけは辛くあたること、父とは口もきかないこと、他人はもちろん親類が来ても顔を合わさないことは、言わないでおいた。

私にはいろいろな顔があって、その中のひとつに「妹」というものがあるということを思い出した。
Vessel Name: Merkava
Vessel Make/Model: Fraser41
Hailing Port: Vancouver
About: 1981年京都市生まれ。京都造形芸術大学 建築学科卒業。 2006年渡加後SSRIの投薬を受け、毎日を元気に過ごす。現在、京都在住。一児の母。

Port: Vancouver
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